The 25th JAPAN TENT
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29 JAPAN TENT 夏期大学留学生国際シンポジウム会場/北國新聞赤羽ホール 協力/石川国際民商事法センターヨーロッパやアメリカ、日本や中国で勉強をするという状態ですが、徐々に高等教育のレベルを上げて、最終的には自分の国で、レベルの高い教育システムを作っていくと思います。母国との懸け橋を民際交流で繋げる(大内)中国が改革・開放路線になってから、日本の経験を学びたいとたくさんの方が来日しました。日本は成功も失敗も含めていろんな情報を提供しましたが、戴さんはそれをどういうふうに考えてますか。(戴)当時、世界のトップになろうという日本の姿を見て、復興、戦争の悲惨な状況の中から成功させたことに非常に感銘を受けました。中国の「他山の石」という記録映画の中に、日本の戦後の歩みというのが詳しく紹介されていた。それを見て感銘を受けて、ぜひとも日本の社会、いろんなことを勉強したいと思いました。 先生からも、日本はアメリカ、西洋と違って、東洋の最高の学問を確立した国だという薦めの言葉がありました。留学の機会を得て、電子工学を含めて、社会、経済、商学、全てを学ぼうと思いました。ただ、内心は、どういうふうにすればいいのか分からない中でとりあえず、日本に飛び込もうと思いました。 学問はもちろん、日本の社会のことも同時に勉強しなければならない。模索しながら、医療事業を立ち上げた経験もあります。そこで得たものは、今でも活かされています。日本に来なかったらそんな経験はないですね。今は、日本と中国を往来する、事業を行うことで両国の良さを同時に活かすことができるということを思っています。(大内)日本も本当に貧しい時期がありました。特に戦争の前後は食べるものもほとんどなくて、都会に住んでいる人達は特に食べるものがなくて栄養失調になる人もいました。皆さん、想像できないかもしれません。その後、日本はアメリカのシステムとか、ヨーロッパの開発の仕方を学んだ。たくさんの人がアメリカやヨーロッパへ行って、電力や郵便、銀行のシステムをより良いものにするか、新しいビジネスを立ち上げるか。そういう時に政府はどのように指導したらいいのかということを学んでいきました。 同じようなことが80年代になり、中国からいろいろ人達が来るようになり「1960、70年代に日本は何をしたんですか。具体的に教えてください」ということでした。私はその頃、政府機関の一つにいたんですが、日本の金融システムの問題、ビジネスの立ち上げ方、あるいは証券取引所の作り方、エネルギー開発、新しいビジネスを支援するなど、いろいろ話をして、それを中国の人達が自分の国の発展に繋げていったという歴史があります。国家と国家というよりも、人と人との繋がりで、私達も中国が良い国になってほしい、良い社会になってほしいという意味でいろんなノウハウを教えたという歴史があります。 日本人にとってブルガリアといえば、ヨーグルトと相撲の琴欧州が馴染み深いですが、日本との関係はどんな感じですか。(ニコロヴァ)私は、ブルガリアの外務省で試験に受かるとは

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